北海道胆振東部地震より1年経ちました。
この記事を書いている現在も、台風の影響で各地に甚大な被害が出ています。
停電している地域もあるとのことで、自分が体験した昨年のブラックアウトを思い起こしています。
昨年はまだブログを始めていなかったので、当時のリアルな記事はないのですが、その後2月にあった余震では、少しだけ記事したことがありました。
余震があったときの猫たちの様子など
ブラックアウトを振り返りつつ、それでも便利なものは利用すべきという私の考え。
「便利なものは利用すべき」という私の考えは変わらないのですが、最近、「慣れすぎてしまうこと」には注意が必要だなと思った(自戒した)ことがありました。
便利なものには必ず誰かの下支えがあって成り立っているということを、いつも心に留めておきたいものです…。
そこで、あの日(2018年9月6日)のブラックアウトで実際に私の身に起こったことを忘れないように記しておこうと思います。ちょっと日にちは過ぎてしまいましたが、いつ書いたっていいですよね(^_^;)
【目次】
2018年9月の北海道地震~1日半のブラックアウトを振り返る
幸い、私の住む地域は地震による直接的な被害は免れました。
壊滅的被害のあった胆振東部はもちろん、札幌市内でも家財にダメージを受けたところも相当数あります。
近しい友人も家の中がぐちゃぐちゃになり、インスタなどでその惨状を目にしたときには、何と声をかけて良いのか分からないくらいでした。
何より、追い打ちをかけるように大規模な停電が起こったことで、先行きが分からない不安が大きかったのを覚えています。
情報が入りにくい
現在停電中の地域の方もインタビューでおっしゃっているのを耳にしましたが、突然のこと(当たり前といえば当たり前ですが)なので、充電式や電池式でないテレビやラジオは使えません。
スマホ等はそのときの充電状態が明暗を分けます。私もバッテリーの残量を見ながら、情報を途絶えさせないように省エネモードにしました。
機械式駐車場は使えない
これが盲点でした。
機械式駐車場も電気が来なければ動きませんから、車を出すことができません。
多数の人が車内に避難したり、車内でスマホ充電を行ったり、テレビを見たりしていたなか、我が家はそれができませんでした。
夜が来ると何もかも真っ暗
停電なんだから当たり前と思いますよね?
それがね、電気のある生活に慣れていると、
夜ってこんな真っ暗だっけ?
と思うんです。
街灯もつかないので窓の外も真っ暗。
非常用の懐中電灯やキャンドルで過ごすわけですが、ちょっとトイレなどに移動しようとしても、懐中電灯が必要なんです。
暗闇にはある程度目は慣れますが、マンションということもあり、光がないと何をするにも不便を感じました。
あとね、夕食の準備ができない。
何かしようとしても、懐中電灯の灯りじゃ手元が見えないです。
非常食で済ませても良かったのですが、その理由は次へ。
冷蔵庫の中のものがダメになる
停電から数時間はなんとかなりますが、さすがにそれ以上はもちません。
どうしても使いたい、使わないともったいないような食材を、無理やりカレーにぶち込みました(^_^;)
暗闇のなかの調理は忘れることができない思い出です。闇カレー?
ガスがついたのでできたことです。
ガスすら止まってしまったら、もっとパニックになっていたでしょうね。
お湯(給湯)が出ない
シャワーに入れません。
※私の住む地域では水は出ていたので、トイレは使えました。
(バケツで水を汲み置きして流しました)
これだけでも十分恵まれていたと思います。
夫は水シャワー使っていましたが、
「風邪ひきそうだ!」って言ってましたよ(^-^;。
私はお湯を沸かして洗面台にため、タオルで体を拭きました。
こんなにも水がありがたいと感じたことはありません。
お店もパニック
停電になってから初めて朝が来たとき、すぐに最寄りのコンビニへ行ったところ、もうすでに長蛇の列。
当然店内も暗く、並んでいる商品もその時点でもうまばらでした。
みんなその辺にある食べ物や飲み物をつかんでレジに並ぶといった感じです。
私が愛する電子マネーやQRコード決済も一切使えず、(一部の店舗では自家発電で使えたようです。さすがのセイコマさん。)現金オンリー。
現金の大事さを思い知った出来事でした。
何より悲しかったのは、そんななか、お店の対応に文句を言う人がいたこと。
みんなパニックのなか、出勤してお店を開けてくれていることに感謝しなきゃならないはずなのに、人は勝手なもんだよな…と残念な気持ちになりました。
パン、豆腐、牛乳、納豆などが争奪戦に
お店がパニックの続きになりますが、これは停電が解消されたあともしばらく続きました。
パンや牛乳など、毎日食べるような食品が非常に少なく、あったとしても
「お一人様1点まで」
が何日も続きました。
工場が何日か稼働しないだけで、これだけ影響が出るんだと驚いたのと同時に、
人は究極の危機を脱すると、日用品が思うように手に入らないことで不満を覚えるようになるんだと思い知らされました。自戒。
交通、物流がマヒ
お店に物が並ばなくなった理由のひとつでもある、物流の滞り。
でも、宅急便の人たちはできることをしていてくれたようです。
我が家にも、ブラックアウト中に物が届きました。
しかし、エレベーターは止まっていましたので、階段で上り下りされていたのだと思うと、頭が下がります。
交通がストップしたことで、病院などに通われている人などは大変だっただろうと思います。
猫はどうだったの?
猫ブログなのに、猫が最後になってしまいました。
地震が起こったとき、猫さんによってはパニックを起こして脱走してしまった例もあるようです。
我が家のななとかまど(キジ白とキジトラの姉妹猫。当時1歳) もプチパニックを起こし、ずっとウロウロと腰を低くして歩き回っていました。
我が家では幸い物が落ちてくるなどの被害がなかったので、これくらいで済みましたが、それでも本棚(耐震処理済み)のほうは怖かったので、なるべく行かせないようにしました。
ただ、昼間は良いのですが夜になると猫たちが見えなくなり、踏みそうになるのが怖かったです(^_^;)ほんとです
猫たちは夜目がきくので、おろおろしているのは飼い主のほうなんですけどね。
水も出るし、フードも買い置きがあったため、猫たちの衣食住には困ることもなく、本当に良かったと思っています。
ただ、そのとき猫たちには首輪をしていなかったんです。
万が一、何かのきっかけで脱走してしまったら…
それを考えると恐ろしくなって、首輪の装着を考えるようになったのです。
便利なものをありがたく利用する
電気が来ないことで、さまざまな2次的被害のようなものを体験すると同時に、
あって当たり前だと思っていたことやものが、実はそうではないのだということが分かりました。
でも、そういうことって再び便利な生活に戻ると忘れがちなんですよね。
ついこの間も、ネットスーパーでバターが品切れしていることに憤慨した自分がいました。ツッコミどころ満載…
そんなときに、北海道地震で経営する牧場が壊滅し、立て直している家族のニュースを見て、
なんか恥ずかしくなりましたよ。行って手伝ってこい!
便利なことは良いこと。
だけど、状況によって臨機応変に使いこなすということが大事なんだと、
いまさら思う私です。